「君子危うきに近寄らず」ということわざがあります。
教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないということ。(故事ことわざ辞典より)
いま働いている中で、このことわざを心掛けとして持っておくことは非常に役に立っています(いきなりの消極的な意見ですが。。)
病院では、資格職のスタッフがメインで働いており、「自分の専門領域」を尊重しあいながら仕事をしています。例えば、医師が診断をつけて薬を選択し、薬剤師がそれを監査・調剤し、看護師が患者の介助にあたりながらその薬を飲ませる、といった具合です。
ところが一方で、「この仕事は誰がやればよいのか?」「この仕事のルールは誰が決めればいいのか?」というところが不明確になる場面が多々あります。例えば、入院した患者の持ってきた薬を誰が預かり、誰が記録に残すか、という話は医師、看護師、薬剤師、事務の誰でもできる仕事です。
この所在不明瞭な仕事に筋道をつけるのが、医療の現場から第三者的な立場にある事務の役割かと思っているのですが、タイトルにもある通り「自分の立場で関われる問題とは何か?を見極める」を常に頭に入れておく必要があると思っています。これをしないと、色々なややこしいことに巻き込まれて自分の仕事が回らなくなったり、不要に信頼を下げることにもなってしまいます。
ルールが決まらない・いつまで経っても改善しない問題には、それに関わっている当事者の認識にいくつかのパターンがあるように感じます。
①誰に相談すればいいのか分からない(もしくは相手は分かっていても相談しにくい)
②複数部署にまたがる問題なので、解決に向けた音頭取りをしにくい
③自部署の仕事として受け入れたくない分野なので黙っている
個人的に思うのは、①と②は事務職が多いに関わり、医療者をサポートしてあげるべきところなのですが、③に関してはうまく間を取り持たないと地雷を踏んでしまう、ということです。
①と②のパターンは重なるところも多いのですが、例えば現場のスタッフは、意外と自分の業務の前後でどのような人たちが関わっているか、ということを知らないことも多いです。それ以外にも、他職種の専門領域に口出しをしづらい、という遠慮もあるようです。こういう時には事務が間に入り、業務の全体像を整理し具体的な数値や仕組みを可視化して資料として提供することで、関わる職種で顔を合わせれば解決の方向に向かっていくことも多いです。
一方で要注意なのは③です。前で例として挙げた「誰が患者の薬を管理するか問題」などは、病院によってのルールを作れば済む話なのですが、ルールを作ると業務を誰が引き受けるか、ということが明確になってしまいます。否定的な見方をすると、「ルール作り=仕事の押し付け合い」になります。
こういった思惑が当事者にあると、事務が間に入って話を整理しても、お互いの現場論・感情論に流れていってしまうことも多く、妥当な結論に行かないこともあります。
個人的には、現場論・感情論を擁護するつもりもないのですが、ただ「当事者が殴り合って話を決める」ということも、一つの問題解決手法である、ということは認識しておく必要があると思っています。
結局、「仲裁役」というのはその仕事に関わらない第三者的立場であり、仲裁役が話し合いの場で「あるべき論」を安易に振りかざすことは時に無用な批判も食らいますし、信頼を下げることにもなってしまいます。タイトル・テーマに戻りますが、「自分の立場で関われる問題を見極める」こと、そして殴り合いで決めるしかない場合には「君子危うきに近寄らず」の姿勢を持っておくことも、大事な人間関係のスキルだと感じています。
先輩が薦めてくれた本に「イシューから始めよ」という問題解決に関する本があるのですが、その中にノーベル賞を受賞した利根川進さんの研究テーマを見つける話が引用されています。
利根川さんは、「利用可能なテクノロジーのぎりぎり最先端のところで生物学的に残っている重要問題のうち、何が解けそうかを見つけ出すのがうまかった」そうです。すなわち、「最もインパクトのある答えを出せるテーマは何か?」を探す力に長けていた、ということです。
今回私が書いたことはテクノロジーではなく人間関係の話でしたが、こういったことも頭に入れて仕事に臨む必要があるな、と感じる今日この頃です。